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2014年02月18日

34年前の今日~2月18日

2014年2月18日
1980年2月18日 19歳

琉球大学への入試書類を郵送で請求し、送られてきた書類を見ると、試験会場は沖縄国際大学となっていた。琉大より少し離れているらしいことと、新キャンパスに近いらしいことも分かった。首里の琉大から沖国までの地図も付いていた。

地図に「我如古」という地名を見つけたとき、前にNHKで見た伊佐千尋の小説(ドキュメンタリー)「逆転」を思い出した。確か星条旗を破り捨てた青年たちが米兵に捕まり、軍事裁判で伊佐が弁護し、無罪を勝ち取った出来事。しかしその後被告の一部が結局刑罰を受けたらしい。

父の本棚で、後になってその小説を見つけた。父の膨大な量の本の中で、沖縄関係本は少ない方ではあったが、富村順一「わんが うまりや 沖縄」や大城立裕「カクテルパーティー」、それに沖縄人ではないが竹中労の「わが??に立つ」などがあった。富村の本はかなり異色で、高校生の頃だったろう、抜き出して読んでは問題意識が芽生えた。

再現ドラマでは伊佐自身が本人の役で出演。法廷内で英語で弁護したそのままを演じていた。長い英語の台詞が続いたことを覚えている。

被告の青年の一人が「我如古」姓だった。法廷ではアメリカ人が「ガニコ」と発音していたので、この発音が正しいと思っていた。

34年前の今日~2月18日

沖縄の「入試旅行」計画では、当初琉大で試験があるとしか考えていなかったので、首里のホテルを取った。父が友人を通じて宿泊先を調べてくれたのだと思う。もし落ちても僕が沖縄をなるべく楽しんで帰って来れるよう、一泊目は都ホテル、試験後の二泊目はグランドキャッスルという、最高に贅沢な旅程を組んでくれた。

試験内容は小論文の一科目だけ。飛行機の往復、宿泊、会場を往復するタクシー代。これだけのために親はかなりの旅費をはたいてくれた。しかも試験翌日にはタクシーで南部巡りまで。確かに、当時の僕には滅多に行ける所ではなかったし、沖縄観光は半ば外国旅行の気分だったから。

あちらの気候はどうなのか。年中半袖の南国というイメージがあったが、市川学園の知念先生は「行ったら分かるが冬も寒い。暖房を持たないので沖縄の人が冬一番寒い思いをしているかもしれない」と言っていたので、こちらの春着ぐらいの準備にしようと決めた。確か黒いワイシャツの上にフレッド・ペリーの草色のベストだ。今考えても、物凄く変な格好である。しかし、実際に入学してからも当分はそんな格好だった。



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Posted by URUMANINGEN at 00:00│Comments(0)34年前の今日
 
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