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2016年11月06日

40年後の始まり

ここ数日、僕の足は地面から浮いたままだ。

17歳の時、衝撃的な音楽との出会いがあった。ラヴィ・シャンカールの「日本へ捧げる曲」という。

身近な家族だった祖父との死別も重なり、あの頃半年ぐらい泣いていたのではないだろうか。泣く理由なんてない、言葉にならない世界のなかでひとりさまよっていた。

いや、一つだけ言葉にできることがある。アジアだ。アジアを思って泣いていたと言えば、大体落ち着く。それから程なくして沖縄へ向かった。

孤独を好んだのは、今思えば、子供のころから言葉にならない世界で一人遊びをしていたからかもしれない。音楽的体験も、なかなか人と共有できないでいた。

その衝撃が突然やって来た。3日前のことだ。

ベーシストの日野jino賢二によるセッションバンドとの共演ライブで、彼が持って来た曲の中にあった。彼らのリハーサルの時から、僕はそれを聴きながら泣いていた。

本番を終えて彼に聞くと
「友達が作った曲なんだ。いい曲でしよ! 譜面あげるよ!」
彼から貰うより早く、僕は写メを撮っていた。コード譜でメロディーが書かれていない。でも十分だ。彼のアルバムにも入っているし、動画でも検索できる。

動画を調べていると、作曲者は黒人だ。きちんとレコーディングされた動画がないところをみると、まだスケッチの段階なのかもしれない。

翌日にはすぐ譜面を起こした。書きながらやはり涙が出て来る。何の説明もいらない。彼の思いがストレートに入ってくる。その向こう側に、アメリカ黒人の歴史や、それを背負って生きている今の若い黒人の思いまで伝わってくる。誇張でも何でもない。不思議だけど音楽ってそうなんだ。

ありがたいことに、この曲一つで、あまり興味の湧かなかったヒップホップやラップなど近年の音楽世界が自分の視界に一気に入ってきた。抱えきれないほどの悲しみと、弱いものへの慈しみ。こんなものが入り交じって、今度も言葉にできない。

アジアをテーマに沖縄を目指した僕は、沖縄に来たとたん、何故かジャズばかりやっている。その理由は今も答えられないままだ。でも、あれから40年が経ち、ここにきてアフリカ系アメリカ人の魂に触れたことは、僕にとって大きな意味がある。

僕はこの曲を自分の持ち歌にしたい。生涯演奏し続けたい。

孤独を好む子供が老境にさしかかった今、気がつくと周囲にはたくさんの仲間がいる。彼らにこの譜面を渡そう。いろんなスタイルで演奏しよう。この曲を沖縄から世界に広めよう。僕らはアジア・アフリカだ!

40年後の始まり



Posted by URUMANINGEN at 23:23│Comments(0)
 
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